じわじわ及ぶ「定員割れ」の危機

現在、日本では高校への進学率は97%を超えており、生徒の能力・適性、興味・関心、進路などの多様化に対応した特色ある学校づくりが各地で進められています。神奈川県でも公立高校に様々な「課程」が設けられ、「総合学科高校」や「フレキシブル・スクール」といった学校そのものが「普通科」と一線を画すものまで登場しています。これに並行して、現改革では少子化に対処するための学校の統廃合も同時進めています。

実は、地方都市では県庁所在地のトップ校を除いて定員割れが始まっています。人口が右肩上がりの神奈川県でも、私学との「6:4協定」によって公立・私立志望者の偏りを防いだ上で、中学校の卒業見込み者数を鑑みながら県全体の募集定員を毎年調整し、地域格差も考慮しながらクラス数単位で増減することによって競争率の安定化を図っています。それでも、近年では定員割れが複数校あり、教育業界においては「今年はあそこが危ない。」などと下馬評を語るのが年明けの挨拶代わりになるほどです。

冒頭に述べた「進学率97%」とは、言い換えれば、希望する者にとって高校は完全に全入化に至ったことになります。昨今では大学が全入時代に突入したと騒がれ、もはや新鮮味のない論点と揶揄されそうですが、30年前となるア・テスト全盛期の神奈川県下では一部の専門課程ばかりに集中していた定員割れが、いまや「普通科」に及ぶのが珍しくなくなりました。深刻な地方の悩みを、対岸の火事と言って手を拱いていられません。

内定員割れはなぜ悪い?

神奈川県の公立高校受験では「足切り」という制度がありません。したがって、定員割れの発生は合格決定と同義であり、受検の当事者である生徒たちからすれば、緊張から解放されて思わず歓喜の声をあげてしまう、棚から牡丹餅の朗報です。

しかし、我々の胸中は正直なところ複雑です。「人生の登竜門を経験させたかった。」という教育者の視点があるからです。そう考えるのは、人生に障害や負荷があってこそ、人は大きく成長できると考えるからです。定員割れによってぬるま湯に浸る中堅学校が見られるように、競争原理が喪失した環境では、冷徹に結果を出す受験の現実を真に感じにくい空気が蔓延し、大学受験の準備・心がけが遅れる生徒が出ます。実力不足の合格者によって、現場の手間が増えるという問題などと比べれば、「ぬるま湯の追い焚き」は非常に難易度の高い指導力が必要になります。「ぬるま湯」は常態化する嫌いがある上、未体験の危機に警戒の目を向けさせること自体が心に響くメッセージでなければならないからです。

「合格で躓かせない」ために

世界のグローバル化が進展する中、日本は「科学技術イノベーション大国」を標榜し、先進国生き残りの活路としています。もともと技術大国であった日本…世界貢献の名の下に発展途上国への技術提供によって自らの首を絞め、相対的に貧しくなってしまったがために更なる革新的な技術を生み出さなければならない事情です。だとすると、将来、世界に飛び出すことがなくても、いや応なしに今より厳しい競争世界の荒波に巻き込まれるだろう生徒たちに、新しいモノ、アイディアを創造する発想とそこに注ぐ努力が「相対的でしかない競争」に晒されることをしっかり伝えなければなりません。そして、高校受験で、「合格しながらも躓いた」などと日本の後継者たちに言わせない制度の整備と指導の手腕が整った教育現場こそが必要ではないでしょうか。

(学指会通信153号より転載)