大学進学だけが人生ではない

今年の高校受験も志望校が決まり、いよいよ本格的な受験勉強を始めるときです。今年は高校3年生の現代文と古文の授業も受け持っているので、強いプレッシャーを感じています。

子どもたちにとって受験は「未知との闘い」です。経験した人間にとっては大したことがないことでも、初めての人にとっては一大事です。だからこそ周りの「先輩」が正しく導く必要があります。

「子どもが望むように」と考えるのは親にとって当たり前のことです。しかし「わからない」から子どもに任せるのは反対です。一見子ども主体に見えますが、この混とんとした社会で方向を見出すことは至難の業です。「決めなければならない」プレッシャーで正しい選択ができないこともあります。

子どもの特性を最も理解しているのは親です。正しく導いてあげるために親自身が社会を知る努力も必要です。ブランドで学校を決める時代ではなくなりつつありますが、序列は確かにあります。しかし偏差値はあくまでも人気度を測るものです。それをブランド価値のように考えるとミスマッチを起こします。

また高等教育業界は『産業化』しています。大学の新設は減りましたが、専門職大学という新たなカテゴリーも作られました。私には雇用(先生や職員といった)を創出するための政策に見えてしまいます。子どもを社会に出すまでに、様々な方法で『教育費』という名目で経済を回すための消費を、促進させているようにも思います(塾もその一つですがスミマセン)。

勉強は向き不向きはあります。ある一定までは何とかなるものの、それ以上は学問的探究心が必要です。それを見極めることが親の役割でもあります。

大学進学だけが人生ではありません、我が家の長女もそうでした。強い目的もなく勉強していたから成績は伸びませんでした。もちろん経済的に豊かだったら大学という名のついたところには進学できたかもしれません。しかしその選択はさせませんでしたしできませんでした。

高校受験の時からこのようになる想像はしていました。だてにこの仕事を25年もやっていません。本当の意味での勉強には向いていないなと感じていました。そう思いながら娘と進路の話をするのはとてもつらかったです。「自称進学校」というレベルの高校でしたので、周りも進学するのが普通だったのでしょう、また私がこの仕事をしていることも影響したのでしょう。つらい思いもしたのかもしれません。

勉強はあくまでも手段です。目的が必要です。高校への進学はほぼ当然のようになっていますので、中学生の勉強の目的は「高校進学」であるのは問題ありません。しかし今から高校入学後の目標設定を常に意識しないと、あっという間に進路の選択が迫ってきます。

『NEXT DOOR PROJECT』を指導方針に上げているのは、高校入学後の進路を見据えてのことです。私の実体験から生まれたものでもあります。変な価値観に縛られる必要はありません。「飯を食える大人になる」には必ずしも大学進学が必要になる訳ありません。特性を理解して導いてあげる(誘導していく)ことが親として大切なことだと思います。